発達障害者が社会で活躍するには
これまで発達障害者は社会に適応できない人という扱いを受けてきました。
しかし近年、アメリカの自閉症支援団体などが
発達障害者とは社会に適応できない人ではなく
一般の人とは違った能力を持つ人である
という運動が起きています。
つまり彼らを障害者として社会に無理やり適応させるのではなく、
彼らの持つ特殊な能力を
社会に活かしていける社会や支援が必要なのだということです。
発達障害は脳の多様性という考え方
あなたは発達障害者に対してどのようなイメージを持っているでしょうか?
もしかしたら心の中では
自分とは違った人間 というように
一般人と発達障害者を区別しているかもしれません。
特に発達障害者と親密に触れ合った事がない人は
発達障害者の事を社会のお荷物のように扱い、
自分たちの世界(社会)にとって邪魔な存在と思っている人もいるかもしれません。
もちろん今の社会では
発達障害者の人権や権利が守られるようになっていて、
上の様な障害者を差別する人が非難される世の中になってきています。
しかしながら、いざ職場など自分の近い場所(世界)に彼らが現れると、
心の中では受け入れがたいと思う人が多いのも現実にあります。
(実際に私の同僚の教員の中にも発達障害の疑いがある人がいて、
その人と関わることをを嫌がる先生もいました)
日本では特に、発達障害者の人たちは
一般の人とは別の世界の人であり、
彼らをいかに私たちの世界に「適応」させるか
とう考え方が多くあるように思えます。
<よく見られる発達障害者に対するイメージ>
ですがこのようなイメージは本当に正しいのでしょうか?
上の図のようなイメージは
発達障害者は私たちよりも劣っているという
誤った前提にたっているのではないでしょうか?
まずは発達障害者の持つ能力について考えてみたいと思います。
社会に必要とされる能力って?
これを読んでくださっているアナタは素晴らしい能力の持ち主だと思います。
お金の計算もできますし、お仕事をすれば決まった時間座って仕事ができ、
締め切りを守り、社会のルールに適応し、
お友達や同僚に対して様々な配慮をしながら円滑な人間関係を築くことができていることでしょう。
しかし発達障害を持つ人の中には
一般の人が「当たり前にできる」ことが苦痛になる人も大勢います。
ではそのような発達障害の人々は
社会不適合者であり、私たちより劣った人達なのでしょうか?
その答えは学校教育にあると思います。
下のテストの成績表を見てください。
あなたならどちらのお子さんの成績の方が「優秀」だと思いますか?
おそらく「A」のお子さんの方が「優秀」だと思った人が多いと思います。
実際の学校現場でもA君は「良い生徒」、B君は「配慮が必要な生徒」と
教員間で共有されるでしょう。
次に同じA君、B君の成績表を見てみてください。
あなたならA君とB君をどのように評価しますか?
(成績は5段階評価で5が一番よいとします)
A君は文句なしで将来が楽しみで
B君は将来に不安を覚えてしまうと思います。
これは何故でしょうか?
そもそも現在の学校教育とは
今の社会に必要とされる人材を育てるためにある
側面が強いのです。
A君の成績は今の社会に必要だとされている能力
国語、算数、社会、理科、英語 が完璧です。
しかしB君はその逆です。
考えてみてください。
あなたのお子さんが成績表で「5」をとるなら
国語、算数、英語、理科、社会 の主要5教科と
美術、体育、音楽、家庭科 などの教科とどちらが良いと思うでしょうか?
ほとんどの人が上の主要5教科を重視し、
高校・大学入試や就職活動でも重要視されると思います。
何故なら、今の学校教育の大部分は
優秀なサラリーマン(会社員や公務員)を育てること
に力を入れているからです。
ちょっと社会の話をしましょう。
原始時代を想像してみてください。
原始時代に必要な男性の能力とはなんでしょうか?
それは
食料を手に入れる「狩り」や身を守る「力」であったと思います。
男性が「強く」なければ
今日のご飯も食べられませんし、動物から家族を守ることもできません。
そして一番「力が強い」人がリーダーとなり
家族や集団を守っていました。
では現代社会はどうでしょう?
あなたの旦那さまを思い起こしてください。
旦那さまはマンモスなどの猛獣に勝てるでしょうか?
・・・はい、ほとんどの男性は無理だと思いますし、私もできません (笑)
原始時代では「生き抜く力」が必要でした。
しかし
現代の社会では男性(女性も)に求められているのは
「力の強さ」ではなく、「社会の一員として社会をまわす能力」だと思います。
現代の日本では、猛獣を追いかける力よりも
安定した生活・社会を守るために
社会のルールを守っていく力が必要となりました。
この「社会のルールを守る」ための能力を育成することが
学校教育のひとつの目標であり、
このルールを守ることができる子が「良い生徒」とされるため、
A君のような子が将来有望であると考えられるのです。
ではB君は現代社会において
必要のない人間なのでしょうか?
いえ、決してそんなことはありません。
むしろB君の様な人こそが
社会を変える「特別な能力」を持っているかもしれません。
次からはB君の持つ能力について考えてみたいと思います。
発達障害者の能力と社会への適応
B君の成績をもう一度見てみてください。
B君の成績はお世辞にも優秀であるとは言えないかもしれません。
しかし「美術」の成績は優れていると言えます。
私がこれまで担当した発達障害者の生徒の中には
このように特定の能力にたけているお子さんが少なからずいました。
それも美術全般が優れているのではなく、
ある特定のテーマ(電車やアニメのロボットなど)に特化している
お子さんも大勢みてきました。
そして彼らの持つ独特の世界観やメッセージ性は
美術の専門家の間でも高く評価されることが多く、
普通の人が勉強などをして身に着けられるものではない
特別な能力だとも言えると思います。
しかし彼らの能力は一般の社会ではなかなか評価されず、
障害者の悪い面(多動性や協調性の低さなど)に注目され、
社会に適応できない人という目で見られてしまいがちです。
先ほども見てきたように、
人の社会的評価は「社会の情勢」や「時代」によって左右されます。
例えばADHDなどによくみられる多動性も
現代社会ではマイナスとなる場面が多いかもしれませんが、
原始時代のような「生き抜く力」が求められる社会なら
優秀な人材として重宝されたかもしれません。
では、今の社会ではマイナス面が注目されがちな発達障害ですが
これからの社会ではどうでしょうか?
私は科学者の卵として大学・大学院で理系の研究をしてきました。
今後の社会ではITがどんどん普及していき、
これまでの社会が大幅に変わっていくことは間違いありません。
例えばITが発達すると今の人間が行っている作業や仕事のほとんどは
ITにとって代われてしまうでしょう。
有名な話としてアメリカの最大手の投資会社であるゴールドマンサックスの話があります。
2000年にゴールドマンサックス本社で働いていたトレーダー(株の売買をする人)は600人いましたが、
2017年にはITの導入でわずか2人になってしまいました。
日本とアメリカの違いはありますが、
ゴールドマンサックスに入社できればまさに人生の勝ち組であり、
一生安泰だと思う人も多くいると思います。
しかしITが進化するにつれ、
このような勝ち組の職業までもが機会に取って代われられることになってしまうのです。
他にもレジや営業、工場での部品の製造なども
ITなどの科学技術が発達するにしたがって
必要な人数はどんどん減っていき、
社会が必要とする人材の能力が変わっていくでしょう。
ではそう遠くない未来、まさにあなたのお子さんが大人になるときに必要とされる能力とは何なのでしょう?
それは「創造」する能力だと言われています。
科学技術が発達しても機会にできない事こそが「創造」、
つまり 何もない所から何かを作り出す 能力であり、
この能力に必要な要素が直感や感覚など
学校の成績では測ることが難しい(テストで点数にできない)能力なのです。
そして、発達障害をもつ人は
この直感や感覚といった能力に優れている場合が多いのです。
それはなぜでしょう?
人間の脳は一部を使わない(使えない)と他の部分がその部分を補うように成長することが知られています。
例えば病気で右脳を全て失った子どもでも
左脳が失った脳の機能を補い、大学まで優秀な成績で卒業した例や
言葉を話すための脳が傷ついた人が言葉の代わりに
美術や音楽で優れた創造性を発揮する例などがたくさんあります。
もちろん全ての発達障害のお子さんが
人より優れた特殊能力を持っているとは限りませんし、
あなたのお子さんがどのような能力に優れているか、私にはわかりません。
大切なことは、
学校のテストや一般的な常識だけでお子さんを測らず、
普段の生活の中でお子さんが
何に興味を示し、何が得意なのかに注目し、
その能力を認めてあげることで、
本当の意味での
できることを伸ばしてあげる教育 につながるのではないかと思います。
このページは
脳の個性を才能にかえる
を参考にさせていただきました。